2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

合一化、昇天の商店が開かれる

オレは留年しよ。用もないのに、8年いよ。

アセンションとシマダシンスケは合うと思う

合一化と分離化。感性的には、感覚的には、私の身体は分離の感覚を好む。混ざるときもちわるい。感覚だ。感動とか、合一化、混ぜること、混ざること。これが主流派。オレは卒業派(アセンション派)と留年派(ディセンション派、ディバージョン派)で言うと…

影響力の武術家、芸能人、シマダシンスケの術に

無頓着、己の道を悠々と。境地としては高い。

現実問題として、シンスケが隣のデスクで仕事してても

関心がないという、胆力を練るのは、難しい境地だね。でも、トライして、まじめに取り組む、面白みは十分ある。

シンスケが1m前にいても、ぜんぜん気にならない胆を練る

そぎ落とし、抽象化。虚飾を脱し、気を練り、練るのみ。人の影響を受けず。ま、イメトレじゃ。ねりゅかな。

影響を受けないレベルでは、

シンスケ、ミノ、タケダテツヤ、ツルベエに手足を固められたところから、脱出し、四人をサバイて、ムシ。念仏なり、ヨーガなり、自己に集中。すべてを忘れてしまう。これはレベルが高い、チャレンジだ。

イメトレとしては、シンスケ、ツルベエ、ミノ、タケダテツヤに四方から固められたとこから

脱出し、無視して、心身統一。けっこうトライだな。 よし、イメトレじゃ。

オーラ的レベルでの、上達、免許皆伝がないと

シンスケ、ミノモンタ、タケダテツヤ、ツルベエに囲まれても、ムシする。という、荒事はできない。

現実問題、シンスケに、パワー負けしない

隣にいても、ムシ。ぜんぜん関係ない。ってのは、極意皆伝に近い。

シンスケ、タケダテツヤ、ツルベエ、ミノモンタに囲まれても

丸め込む。至高の合気、システマ、究極の合気、システマだ。レベルたかすぎ。

シンスケ、タケダテツヤ、ミノ、ツルベエに囲まれても

スルーして、狐につまむ。バチバチに打ち合わない。狐につまむ。いつの間にやら、丸める。丸く治める。 丸く押さえ込むでなく、丸く治める。 相手がぽー、とする。丸める。 結構、極意に近い。

シンスケ、タケダテツヤ、ミノモンタ、ショウフクテイツルベエが一度に囲んでも

柔らかく、包囲網から、抜け出て、狐につまむ。できるだろうか?

シンスケを、柔らかく、遠ざける

ミノモンタを柔らかく、遠ざける。達人かなぁ?

論理でワカランもの、介護世界、シンスケ世界は

基本するー。スルーの方法。シンスケを柔らかく、遠ざける。意識できないうちに。

絵の分析、絵画の批評と、介護世界は同じ

感覚世界。ロジックは別のハナシ。

介護世界の分析に、ロジックは無用

ほとんど感覚の問題。トラウマと解消。分析不能のクラヤミとヒカリ。で、産業、仕事、マツリ、人間。ロジックでない、人間の証明問題(感覚編)、みたいな感じ。

やっぱ朝日は、火の玉ボーイ!

逝きまーす!、だな。

りすかボーイアンドガールズには、リミッターがある

至高のSM、究極のSMは、限界超えて探究していく。

りすかガール、りすかボーイは、安心安全のレベルかも?

政治家とマスコミの、至高のSM、究極のSMの前では。

自己破壊は荒事、荒行

すごいなー!、って賛嘆する。ビックリする、できないもんな。信仰の力なのか、あのSM荒事、荒行は。

日本の政治とマスコミを、至高のSM修験道と観る

『至高のSM』か、『究極のSM』か。けっこう芸事、SM修行と観ると、楽しいかも。批判とか、皮肉を超えて、『すごく自己破壊してて、ビックリ!』みたいな。リスカぼーい、リスカがーるも、マッツァオの至高のSM、政治。究極のSM、マスコミ。いい感…

養生訓とか、そんなの、けっこう幅広い射程の

書き物。

平成23年8月28日 白浜

あの夏、一番静かな海PART2 行間 バット すなはま なみがさ 熱い

時間と近代と金は、深い結びつき、エンタングルメントがあるはずだ

認識の境界が存在し、その内部の現象だ。

時間とは系の内部に存在する、系の外部と統合したとき、境界が消滅するするのが死だ

系の内部と、外部を認識可能な主体にしか時間はない。認識されない。時間は近代人の認識作用が作った、創造した現象だ。ある系の境界が崩壊し、その系を含む系に統合されるまでが、時間だ。

量子の世界では、時間はない、時間対称性の破れがない

マクロ世界は時間対称性が破れ、不可逆な時間が流れる。生命は食物を食べ低エントロピーを維持しようと、時間の不可逆性に抵抗するという。しかし逆ではないか。時間と認識が関わる。エネルギー、光、エントロピー、重力。時間は物理学でどう定義されている…

子どもが一生懸命遊び、時間を感じないのは

時間を創造しない。計測される等価な時間、死すべき時間を経験していないからだ。顔が子どもっぽい人は、時間を創造していない。顔は履歴書というが、ある病気の人たちは時間を創造しないから、顔が老けない。時間を創造する、死を刻印する。

時間とは、死までの時間が、一単位だ

それを分けていく。つまりは境界、ある系が、内部と外部の境界維持ができなくなる=死、までの時間だ。だから死を特別とせず、自然に還る、つまりは小さな系=人間が、大きな系=自然に帰還することである、と死を重視しない文化では、死の意味は強くない、…

時間がない、時間を感覚しない生物が

多い。人間でも、原始の人、縄文、アボリジニ、アメリカ先住民は時間を創造しなかったろう。ナワールとトナールかな。時は金なり、時間は近代から加速した。計測行為、計る、測る行為が、時間なのだ。

時間は観測するから、存在する、認識主体が時間を計測する

時間の計測、観測行為が時間を創造する。