2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

世相が悪くなるのが、全生である

健康を害するのも、全生である。

世相がよくなるのも、自己実現なら

世相が悪くなるのも、自己実現だ。

健康を害する、世相を悪くするこれは、

自己実現だ。健康を自ら害するのが、自己実現である時期がある。

滅ぶような、悪い方向へ向かっても

それが自然であり、自己実現のようなものだ。自己が、自己を実現していく。世相が悪くなるのも、自己実現のうち。悪くなりすぎたら、人口が減ってしまう。その悪さが、解消してしまう。

日本という巨人が

右傾化したら、右に傾き歩く。左傾化ってあまりないが、左傾化したら左に傾く。まっすぐに歩くのは、バランスがとれない。自然な傾き。まっすぐは体に良くない。体が曲がりたければ、曲がるのが、自然。

集合的無意識の動き

文化を楽しむって、集合的無意識の動きに関わることだから、集合的無意識から距離を取るのとは、ちと、両立しない。集合的無意識ってホントに、波いうか。まあ、サーフの概念が。

ツイッターやってると

右派と左派の引き込みにやられるから、というより、右派の自然誘因いうか、引力が強いので、意識しないままに流されちゃう。だからツイッター離れたのは、正解は正解。

行動とかは、どうでもいい

ただ論じる楽しさが、終わってる。新しい論をひっさげて登場しても、魅力がない。3.11以降に、坂口恭平が登場して、少し目新しく、おもしろい、楽しい感じはあった。あのあたりが、打ち止め、終わりだった。

副島世代は、昔の論じる劇団で

論じる芝居、小劇場。論壇デビューとか、ブロガーとか、そういうのも、ぐずぐず。郵便的で、デビューするとか、独自な論をひっさげて登場とかが、もう、魅力がない。論じる男が登場しても、魅力がない。

カラヤン、浅田世代から、宮台、アズマン世代で

移り変わって、現在では、時代が論じる楽しさを奪った。仕事に選んじゃったから、みたいな、ぐずぐず。アズマン、宮台以降は、論じることの荒野、いうか、仕事、飯の種。

論じることが、不毛であり

豊かさがないこと。行動とかではない。論ずるより、行動を、とかじゃなく、論じることが、そのものが、つまらない。

論じるいうか、評価しあうことも

つまらない。論を立てることも。

論がつまらない

なになに論がつまらない。論じることが、限界。

世界にはええ話とドキッとする話があり

ええ話派は、世界はええ話で説明できるというし、ドキッとする話派は、世界はドキッとする話で説明できるという。真偽の問題ではなく、ええ話が好きか、ドキッとする話が好きかの問題。性格の問題。意志のあり方、向きの問題。

集合論的な、相対主義、

相対主義が、集合論的に、包む、包まれるも、視点の問題。動いてる。相対的。絶対主義が、絶対に成り立たないのは、相対論的な集合主義。包む、包まれる、先後関係、起源と結果。これが相対的。創造主が、相対性にとり込まれた。決まらない。決められない宇…

還元主義がおかしいのは、

もう起点が決まらない。還元した先が、後のものから生まれてもいい。還元先がじっとしてない。還元先がうごいちゃうから、還元しても、あんま意味がない。終点がない。動いてる。

科学と生とは一つであるという命題が

なりたてば。でも、まあ、なりたたない。科学は、生のドメインの一つであるし、かつ生を包括する集合でもいい。層の理論がおかしいのは、部分と全体、上層と下層は、ひっくり返ったり、めちゃくちゃしていい、ネットワーク的に、包んだり、包まれたりは、比…

学問、科学とはバカげたところがあり

トンデモは判断できる。自己免疫の問題。自己非自己は区別できる。科学、自己と非自己、トンデモを区別できる。自己と非自己を区別できる。自己免疫がある。これはトンデモであるというのは、バカの一つ覚えというか、自己免疫の叫び、これは僕じゃないよ!…

学問する意義がないことを

笑いながら、泣きながら、楽しむ。

学問する意義がないことを、

受け止めていく、諦観する、断念する心のレッスン。不思議なレッスン。不思議な、不思議なレッスン。愛が大切とか、欲望が大事とか、そういうことではない。学問する意義がないことを、真正面から、受け止める。意味の崩壊、意義の崩壊。学問する意義がない…

学問する意味がないことをどう受け止めて

いくのか。これは行きがかりのある人だけのレッスン。

学問を大事にする人は、まあ、それはそれ

その人の行きがかり。学問の意義の根底が、水に流れたこと。

学問の意味は、水に流れた

もう、流れてしまった。

学問の底は抜けたというか、真実と嘘を

問題にすること自体が、もう、意義がない。学問の価値が壊れたのは、真実と嘘を議論したり、力むこと自体が、もう水に流れている。学問の根底、真実と嘘の吟味の意味や意義は、水に流れた。

科学的でかつ滅茶苦茶愚かって、

めちゃくちゃ両立する。科学的な人が、めちゃくちゃ愚かって、すごく科学的。関係ないから、両立する。

汚染水が水に流れて、おぼちゃん芝居も、もちろん

水に。もう、すべてが水に流れる。個人的に流さないとか、つっぱっても、滑稽な。科学には嘘に立ち向かう力はない、ゼロ、そもそもない、まったくない。別のもの、違う流れ。嘘への抵抗もないし、免疫もない。別物。科学と女性への免疫、遊び方、これ、なん…

真実を明らかにする意味がない、意義がない

逆に嘘にも魅力や驚きがない。センスがない。学問のモチベーションは終わってる。真実を隠したり、暴いたり、そういう芝居に飽きている。つまんねえ芝居だなあ、と。

真実を明らかにすると力んでるのは

カッコ悪い。だから学問の終わり、学生運動の意義や意味の完全な終わり。真実とか、嘘とか力むことの終わり。議論の終わり、民主主義の終わり。力んでもいいけど、まあ、終わった芝居の風潮。まあ人生後半で今更新しい芝居もねえだろう、ならいい。

真実を明らかにすると、見栄を張るのが、もう

終わってる。そういうレベルじゃない。まあ商売は続けられるし、続けてもいいし。だが真実を明らかにすると、力むのはもう、終わった芝居。

先生とか、教えるという態度が終わっている

もう教えるようなものがない。見栄あるひと、見栄っ張りな人は、偉いというがガッツいてる。偉い。