2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧
自分が嘘をついたのか、ホントのことを言ったのか、判断できない。
ホントは、ホントと嘘が、相互に反応している。
嘘とホントは、酸とアルカリのような。真実を求めるような考え方が、徹底的に間違えている。
純粋な嘘をついたつもりでも、すぐホンモノ化してる。
真実を摘出するような考え方がおかしい。嘘は、ある程度時間がたつと、20%ぐらいはホント化してる。
嘘は、部分的には、すぐにホント化する。
ホントの意識が混じり込む。嘘は生まれた途端にある部分がホントに。
自らの意識を持続できない。嘘とホントが混じり合って、嘘付きの自意識を持続できない。
嘘をついたのか、ホントなのか、わからない。
嘘。本当にディック的な。
ただフツウ。甘い話で、破滅しても、フツウにふつう。甘党は辛党にならない。
鋭敏さ、明知の後ろに愚劣さが、セットでついてくる。科学の鋭敏さと愚劣さが、栄光の兄弟。科学の明知を追求し、愚劣なものに常に追いつかれる。明知と愚劣は、切り離せない。
併せ持つのはフツウ。すごく愚劣さが、必ず含有されている。シャープさと愚劣さが、セットでついてくる。切り離せない。
守るには、嘘に怒る必要がある。先生と生徒の関係性を否定したら、嘘に怒るトリガーがない。
嘘に怒る理由がない。先生を否定してるので、嘘だろうが怒らない。
破壊しても、フツウ。ふつうだから驚きとか、戦慄とかはない。田舎芝居で、自分で自分を感動させない。
ですましてもいい。よくある、よねえ、またかあ、で、よい。
ダメ。教えてやろうみたいな。
遊ぶ。師は否定された。必然であるし、師について行くものもまた必然。トータルで師というシステムは、ただ夢を語る。タモりくらぶが楽しそうなちゅうだけ。
否定する動物。
そこで、初めて、面白さが。
定説。先生のいうことが嘘だったという大切な体験。
ちゅうこと。安心安全、心が。
終わり。孔子みたいな。プロテスタントみたいな。教える行為が不可能。動物は先生を持たない。
骨だけ。騙す実質がない。骨骨ロックのおじさん
師はこどもと動物に教えをこう。
もうなった人はしょうがないが。
師を持たないビジョン。プロテスタント先生であれ、孔子であれ、科学者であれ。
まあ、繋がらないのは、一種の能力だなあ、と。で、あんまアマゾン帝国やGoogle帝国に対抗しても意味がない。ビッグデータとゴミデータ。ゴミデータの中で、熟成する。
Googleのデフォルトよりは良さそう