書評『生き残るヤツの頭の働かせ方 桜井章一』

本書は20年間無敗という雀鬼 桜井章一氏の著作である。何冊も新書本がでているようだ。勝負の世界を潜り抜けた人の人生観的な著作だが、独特な目線、斜めに見えて実は、真正面ら一刀両断する鋭さがある。
まえがきで明らかなのだが、「勝たなければならない」という強迫観念からの脱却が説かれる。

勝つとは何か?
「誰かが勝手に決めた基準で勝ち負けを判断している限り、絶対に勝つことはできない。」
「勝ち負けの基準を、他人や社会に合わせるのではなく、自分自身の中とか自然の中に置けばいい。」
「本書はその洗脳を説くためのきっかけになってくれればとの思いで書いたいっても過言ではない。」


苫米地本と共通の認識、自己の中心性の確立と、目覚めること(洗脳にまどろまないこと)への追求があり、明らかに日本における小泉時代、あるいは族長 KANの時代を経て飽和しつつある、眠りの構造からの離脱の方法論が書かれている。

たかが麻雀師ではないか?という無かれ、ここではニーチェ的価値観の転倒がなされる。たかが麻雀との価値判断は、眠りにまどろむものの、インストールされたプログラムにすぎないのだ。人は借り物のブラックボックスのプログラムに動かされてつつ、結構プライドを持って(アンドロイド的反射を行っているにすぎないのに)生きているものである。


本書におけるニーチェ箴言

「勝つとは奪うこと、つまり勝者とは強奪者のことだ。」(p16より
「奪いに来た敵から自分や周りのものを守るための強さだ。」(p17より)
「騙されるる側に欲望がなければ詐欺に遭わない。」(p21より)
「本当の強さとは、こうした根源的な弱さを認められるかどうか」(p23より)
「体の動きがすべて流れるように動かせるか。それは日常の生活の中で培うしかない。」(p40より)
「「あれは感覚の動きをしているな」と気がついた。」(p44より)
「ずるい人、意地悪な人は、人の弱さにつけ込んでくる。でも、その恐怖の源はほとんどが自分自身の中から起こっていることを知っていれば、そのずるい攻撃を防ぐことができるのだ。」(p48より)「会社に文句を言うなら、いつでも辞められる力を養っておくべきだ。」(p51より)
「嫌な大人と嫌な大人が一緒になれば、その人間関係は必ずぶつかることになる。」(p68より)
「得たいという気持ちを消せば、追われる感覚も消せるわけだ。」(p80より)
「上から学ぶことなど何もない。上からものを学んではいけない。物事は下から学ぶものなのだ。」(p97より)
「意地悪は社会で堂々と生きられる存在なのだ。」(p103より)
「感性、感覚を磨くには自然から学ぶしかないのだ。」(p113より)
「権威者がびくびく、おどおどするのは自分の軸を持っていないからだ。」(p118より)
「楽しむということは、自分だけじゃなくて、他人も幸せにできるというわけだ。」(p147より)
「あえて自分の弱さをどんどん人に見せたほうがいい。」(p155より)
「結局は自分の楽しいことをやるという軸に戻ること。これしかない。」(p184より)


嘘に飽き飽きしている人は読んでみるといいと思う。