証言 風狂の俳人 種田山頭火 大橋穀著

証言 風狂の俳人種田山頭火

証言 風狂の俳人種田山頭火

私は山頭火のファンではない。俳句に感動したということもない。山頭火ファンからしたら、ピントの外れたことを書くことと思うがご容赦を。

最近、旅づいていて、旅先で一句などということをしていた人に、山頭火という人がいたなーという記憶があった。そこでどんな人だったのかと、図書館で本書を借りてみた。


印象に残ったのは
山頭火は母、弟の自殺を背負ったトラウマ系ちゅうか、芥川系であること。
・句会の所属し、句友からの援助を受けていたこと。
・年下の友(援助者)が多く、憎めない人柄で、迷惑をかけられても、それ以上の魅力があったこと。
・行乞という托鉢のスタイルにて、全国行脚していたこと。
・それが、山頭火がなくなる前までは、かろうじて成立していたこと。
酒を愛するのは、友と談論風発し、遊ぶため、要するに人が好きなのではということ。
突き詰め系、そこが真似ができない、凄い!という感じに好きな人は成るということ。


まじめな人だな、そして人が好きな人だな、人と仲良くしたい人だなと思った。
太宰との近接性も感じた。まじめ、自堕落、しかし周りの人間は憎めない。

自分は芥川、太宰系のほうが、三島、石原系より好きだ。というより害が少ない。
石原系の信者は、自己に許しが与えられたと信じて、暴力のりミッターを切る可能性がある。太宰系をいくら読んでも、自己への暴力(アダルトチルドレン的)はリミッターカットしても、他人に迷惑はかけない。三島、石原系は許しから、野放図な暴力の解放へ、という許しの構図がある。


それはそれとして・・・。
酒がすきなのは、人と仲良くしたいのだなと。参考にならんなと。
人が好きと、孤独という葛藤が主題なのか。


葛藤と、自己への許しという主題。そういう主題自体が必要なのかと?
葛藤が解決されていくのではなく、葛藤が存在しない、葛藤とは脳の作り出したプログラムであり、消去できるのでは?葛藤を解決する、解くのではなく、葛藤しない、ほかのシステムで動く、「葛藤⇒解決」という構図自体を否定する。

なんかそんな感じで、考えている。