『不景気が終わらない本当の理由』リチャード・A・ヴェルナー

不景気が終わらない本当の理由

不景気が終わらない本当の理由

読んだから、メモを残しておこう。
ヴェルナーさんはドイツ生まれ。東京大学大学院に入って、「日本銀行金融研究所」、「大蔵省財政金融研究所客員研究員」を勤めた経歴を持つ。

いったん日本経済のインサイダーの近くにいたちゅうこちゃ。まあね、暗示。

まず、一番大きく、感じたこと。
日銀批判で、高橋洋一氏の論旨にもあることだが、「日銀を国民のための日銀へ戻せ!」という主張自体が、ナイーブ?(戦略的擬態?)で、ウソのテーゼな気がする。

中央銀行は、国民のためにある「はず」、これは学校でお勉強したから、「はず」って思うのだ。ちと横道だが、最近、吉本隆明はちゃうん、ちゃうかなー、と思いだしてる。

原発と、科学への信頼、信頼ちゅうより自然成長性とか、マルクスからの発展段階説、時間、史的唯物論とか、いわれた歴史観、時間観だな。

その末裔たる弁当さんの、議論だけど。

「べき」とか、そういうのが、おかしい気が。「関係の絶対性」がありますよ、「ある」はワカル。「国家はなんたらで・・・、なんたらす「べき」」、これが意味がわからない。

人の事を、正したいんだろうが。「べき」とかいっても、そこに違って「あった」ら、ぐだぐだ「べき」とか言わなくていいじゃん。

政治参加ちゅうハナシだが。「べき」とかいわんと、政治参加の根底が抜ける。

「べき」はフィクション(学校で習ったこと)を、「信ずる」態度が前提。学校で習ったことにこだわりがなく、どうでもいいー!、なら「べき」論が成立しない。市民社会が成立しない。

で、今の時代の若い人(ニート、ヒッキーズ)には、「べき」とか感覚的にわからんのじゃないか?

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ヴェルナー氏の論旨は

要するに好況を演出=いんたげ、紙幣をがんがん刷る、のを、どうして日銀が、あれこれ理屈を言ってしぶるのかの、ほんとのとこ、がわからない、と。

ひっくり返して見れば、「不況を長引かせたいから、ワザとしてるんでは!」が論旨。
ありえへんわー、トンデモないっ!、とのリアクションが反射する。

その結論へ至った傍証をヴェルナー氏は挙げていく。

日銀というものは、プリンスと呼ばれる人が、総裁になる20年前、30年前に選定される特殊な集団であることが、示される。(民主的手続きとは関係がない。)

日銀のパワーの源泉は、「窓口指導」(公式には廃止)。窓口指導は、市中銀行を支配し、市中銀行が、与信で企業を支配する。間接的には、日銀が一企業に、巨大な与信を与えることが可能である。(企業、マスコミ支配(間接)など簡単。)

小泉改革の源流は、「前川レポート」。これは日本的特殊戦後経済構造の解体を求める文書。前川レポートの源流は、70年代の佐々木レポート。前川、佐々木は日銀のプリンスだった。

戦後日本の特殊な経済を解体するには(提言が実行されるには)、不況下でないと、進まない。であるから、意図的なサボタージュ(不況の長期化)が行われたと。

要するに、日銀のプリンス達は、戦後日本経済の解体を、信念とする、オサ、なのだということ。(なぜ日銀プリンスが、そのような思想形成されるのかは、明確には指摘されていない。)

ここから、感想。

まあ、ワザとちゅうのは、ありえーるはな。民主党政権に対する、官僚のサボタージュ、まあ、あるんちゃうん?

日銀の思想家達(プリンス)の起草文書は、何故、世界的(要はアメリカ的)スタンダードへ、日本的特殊性を「正す」のかと。「正された」日本は、あっちるーるだから、フルボッコちゃんと。

日銀の思想家(プリンス)は、「世界経済の管理人達」の末席にいると、インボウ脳で、モウソウすれば、まあ整合。だから、そもそも、国民のため、とかウソですよと。信じる貴方が、バカなのよ。で、済むんちゃうかな?。「国民による国民のための日銀を!」とか、発想がおかしくないか。だって、もともと、国民のものではなく、国民のものだと錯覚してただけで、正すべきは日銀ではなく、錯覚していた自分の脳、ではないだろうか?(釣りw)
世界を相手にした奴は、ぜんぶマルメられちゃう。とかいうと、簡単だが。海軍とか。

「人民の、人民による、人民のための政治」とか「国民の、国民による、国民のための日銀」とか、単に、間違い。もともと、そうじゃないんだから。だなー。

相手を正そうは、巨大なエネルギーロス、遅延を生む。

自分の脳のプリインスト、アプリの削除、もしくは監視ぐらいが、いいとこかな?