人格という虚構は流される、濁流に、

クロサワ映画が撮れない。人生が撮れない、政治が撮れない。

一貫性がない。それは情報の一貫性の担保がもう、ないからだ。

情報の記憶、素子、シリコン?半導体?電子とメモリ。


一貫した情報場の保障は、壊れた。

とすれば、人格の一貫性への努力は、リスキーだ。

一貫した情報場の、崩壊から、導かれるものを、知っていけばいい。

『一貫した情報場』がもたらしたものと、それとの位置関係、サワリを観るべし。