クルーグマン教授の経済入門

クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

クルーグマンの経済概説、1,997年第三版からの訳。訳者は目利きの山形浩生
その後の世界経済の変化は織り込まれてはいないが、その思考法がどう一貫してくるかを見るには、最適の著作かも。

クルーグマンは、「期待しない時代」と言う。すっかり経済の進歩、親の世代より豊かになると言うことが、信じられない時代。それは最近のクルーグマンの嘆き節、世界経済の日本化とでもいうべき事態に、有効な手を打つべし、という論調と一貫した問題意識が感じられる。

<生産性向上>
まずクルーグマンがおもしれえ、と思ったのは、まず最初に、経済にとって一番大事なのは、生産性の成長と言う。アメリカ経済は20世紀初頭からすると、生産性が4倍と言う。生活水準の向上とは、完全に生産性に依存すると言う。そうであれば、生産性を向上させるには?、という問いが。

ここで、クルーグマンの答えは。

「わからない!」と。

正確には、現在の経済学では、すっきりした生産性向上を説明できる定説はない、と。しかし経済政策では、経済成長が争点ではなかろうか?この点で、クルーグマンは、左派、ロバート・ライシュ、レスター・サローといった産業政策派、市場における政府の役割の重視。右派として、アーサー・ラッファー、ジュード・ワニスキーといったサプライサイド屋、市場から政府を追い出せば、市場の力が解き放たれると信仰をあげる。

しかし結論としては、彼らは失敗したと。大失敗ではなかったとしても。レーガン政権下で、サプライサイド屋が、クリントン政権下で産業政策派が、政策を仕切ったが、見るべきものはなかったと。

やってみたが、ダメだったと。言うほどのことはなかった。大惨事を巻き起こしはしなかったがという。

この正直さ。経済にとって、生産性向上が一番大事、キーと言っておいて、すっきりした理論はない、という。なかなか正直だ。

<所得分配>
そして問題、経済学が考えるべき問題で、貢献ができそうな問題は、所得分配だという。

所得分配は、社会の雰囲気を変えると。いい社会、気持ちのいい社会には、適切な所得分配が必要であり、経済学の思考は、そこに貢献できるんだと。

で、歴史的な流れとして、アメリカにおいて、60年代、70年代に、社会福祉プログラムが熱心に試みられたが、めぼしい成果がなかった。で、80年代にその反動で、社会福祉が貧困の隠れた原因であると糾弾される。

どうも社会福祉の充実は、袋小路のようだ。所得分配は、移動だ、ここから、あそこへ。所得分配の不公正の一番原因と考えられるのは、経済的最上層が、ファイナンス技術を駆使し、取り分が、大きくなりすぎた。これに対し、唯一有効なのは、税金をかけることなのだが、政治的には、成果がでることはない。

結果としては、ちとさえない分析となる。富の分配の加重がおかしいと言う現実、その分析にこそ、彼の筆は、有効のようだ。

<インフレと失業率>
今とは違い、中央銀行はインフレとの戦いに神経を尖らせていたと。80年代のアメリカはインフレだったんだと。インフレとどう戦うという問いの中から、インフレと失業率が関係があるんだと。ここで自然失業率という考え方が。ミルトン・フリードマンおじさんがここで噛んでくるらしい。

ケインズが評判が落ちていったきっかけが、インフレと自然失業率の相関。
無理に需要を作って(公共投資して)、失業率を下げると、インフレになっちゃうんだと。ケインズおじさんから、ミルトンおじさんへの政権交代は、自然失業率の概念で、起こった。

で、自然失業率というと、いかにもなので、価値中立的な表現として、「インフレ無加速失業率」と。言い換えであり、意味は同じものだ。

要はインフレと自然失業率が、トレードオフだと。無理やり、公共投資すると、インフレなるよと。

ちと奇妙に思えるが、アメリカの自然失業率の推計は、6.6%ぐらいと。これが最適な失業率なんだ。失業率ゼロ、目指すのはダメダメよと

失業率のコントロールと。最適な失業率があると。

私には、この「自然失業率」の考え方の妥当性は置いとく。(置いとくな!)しかし、この考え方自体が、無倫理性をはらむと思う。無倫理性が悪いのではなく、自然なる無倫理というか。ミルトンおじさんは、科学的に正しいのだ!、という人も多かろうが、けっこう無倫理性の導入かな、と思ったり。

マネタリズム
ミルトンおじさんは、史的な研究、大恐慌期の歴史研究を通じ、マネタリズムのアイデアを提出。そこに理論的裏づけ供給が、コロンビア大学の聡明エキセントリックな、ロバート・マンデルおじさんらしい。
で、理論面(数学的形式化?)は、合理的期待形成ちゅうアイデア
インフレは、インフレ期待を通じて、自己増殖する。で、金融当局への信頼感が確固たるものならば、インフレ期待の自己増殖は、収まるんだと。
これが、一定のインタゲ4%とかの、機械的な運用が、市場、投資家から信頼を得ていれば、インフレもじっとしてるんだと。中央銀行に裁量与えたら、信頼感がうごいちゃうでしょと。

FRBは79年から3年間だけ、マネタリズム的に振舞ったと。インフレに勝つには、自然失業率を上げる必要がある。つまり不景気経済にする必要がある。で、マネタリズムの仮面を借りて、不景気の苦い薬を。で、ある程度インフレが落ちついたら(3年後)、能動的で、裁量的なFRBに戻ったと。マネタリズムを利用した、というわけ。

ファイナンス
80年代から発展(?)したファイナンス。これは企業の財務諸表で言う、負債と資本を、いじくり倒す、技術だと。その反対たる資産に関係ない。だから経済の実体的な側面、資産には関係ないと。

LBO(負債による買収)、乗っ取り、ハゲタカ。これは負債調達で、会社をがたがたにすると。元でなく(少なく)債権がんがん発行して(勝つ見込みあると期待形成)、金作って、買収。ここができたら、ハゲタカ、会社解体、がたがたにと。買収できるか、できないかと。できないと破産だが、できたらハゲタカで死肉をいただく。

ここでリストラがでてくる。財務ががたがたになっちゃってるので、行き過ぎた再構造化(リストラ)しないと、やっていけない。つまり、ハゲタカから、がたがたにされたゾンビが、生き残るすべが、リストラだったと。生産性の上昇、資産の増加といった実体面はなにも、よくならない。悲惨やな。

<日本 流動性のわな>
日本は流動性のわなに引っかかっているという。流動性のわなとは、金利がゼロに近いのに、総需要が、生産力を下回っている。投資が動き出さない状況だと。なぜ、どうして、流動性のわなに、はまったかは、説明しにくいと言う。人口構成ぐらいしか、仮説がないと。需要が動き出さない原因は。投資が動き出す、期待形成が起こらない。

こういう状況では、マイナス金利、インフレーションへのコミットメントという、通常ではあり得ない政策が、市場に確信されないと、需要や投資が、動かない。ゼロ金利で動かなきゃ、インフレコミットメントで、市場にインフレ期待を確信させることだ、という理論らしい。


まとめると。
経済は生産性の向上が原動力だよ。しかしそれを刺激する明確な方策はない。
で、社会の富の分配の仕組みが、社会に大きな影響を与えると。分析的な視点からは、ファイナンスの技術の進展により、所得の分配比率をひきつける技術が発達しすぎた。だから富の集中が起こった。これに対する方策としては、法的規制、課税ぐらいしかないと。
方策はぱっとしないが、分析的な視線は冴えてる。
で日本の状況は、ゼロ金利でも、投資、需要がうごかない、どつぼ、流動性のわなに落ちた状態だと。どつぼにはまる、罠にかかれば、そこに落ちちゃってるから、通常とは反対のことしないと、抜け出せないと。それにはインフレ期待を、コミットメント、確信させる。それができりゃ、動き出せる、どつぼ脱出じゃないかと。

インタゲの意味は、どつぼ脱却法なのね。

ファイナンスの発展は、負債のいじくりに過ぎず、資産や成長性に、影響しないと。富の再分配、一極集中させたファイナンスは、経済全体を、弱らせていくだけなんだと。
生産性の向上の阻害要因を、分析し、取り除く方策ぐらいは、できるんじゃねーかと。

ふーん、風景なんとなく、見えた。