書評『聖書を読む』中村うさぎ 佐藤優

まあ、ガチな対談。ウケ狙いでない、内角高め危険球。まさる、うさぎは同志社大。うさぎは英文、まさるは神学部。まさるはガチ球。神学部出身の、一部のマニア向けでない識者はいない。まさるはチェコのフロマートカいうガチ球投げられるから、カラヤンも一目置かざるを得ない。で、うさぎさんは自分の好みからは、硬すぎる。まさるたんがカール・ポパーに似てると合いの手を入れるが、そういう硬さ、原理主義的な。でも必要な硬さ。まさるたんが、柔らか過ぎる。天草四郎的な、柔軟さ。
で、肝は旧約聖書。まあ、ヤハウェ
はヤンチャ過ぎる。
で、キリストは、神の子という、なかなか新機軸が、まあ2000年キイてる。で、パウロが教団の経営者として、凄いと。使徒言行録は、政治的人間のバイブルと。

で、まあ他の現代的なポイントは、村上春樹への、観測者としての関心。悪の作家として。ここは弁当先生と繋がる。弁当先生も、うさぎたんを評価。硬い繋がり。キリスト者の戦略みたいな。

最後に、北イスラエル王国ユダ王国、ソロモンの神殿、これは少なくとも、史実という、ガッカイの共通認識と。紀元前600年ぐらいの話で、文書的、記録的な史実だと。で、跳ぶと、いわゆるキリストの日本探訪ばなしは、どうなんやと。年代的に、神話的な人類の記憶でなく、十分史実という、デジタルな時期と、西アジアは。そしてシュメール、バビロニアとか、紀元前2000年とかの話が史実だと。神話じゃねーぞ、と。で、今のアラブ世界マホメットからだが、バビロニア系は紀元前2000年ぐらいの歴史よ、と。中国の秦とか、日本の卑弥呼とかより、古すぎだろ、と。西アジアの世界史、紀元後の2000年と同じボリュームの歴史が紀元前に、西アジアに。うむう。なんか歴史学がおかしい。栗本慎一郎さんの話とかも、なんか限定的過ぎないか、と。先史時代でなく、れっきとした、おかしい。

聖書を読む

聖書を読む