2011-10-12から1日間の記事一覧

生命論における電磁気学の援用も常識になって欲しい、

イオンチャネルの膜透過性は、電気現象。イオン流体が重要なのは常識じゃないかな?生命の情報処理を、レセプターにおける、鍵と鍵穴理論における、物質の受け渡しという、古い理論モデル(発展性のない)は、なんだろうなぁ。脳における情報処理が、ドーパ…

なんかおどろおどろしいハナシを、乗せる、盛る奴が多いね、ポールシフトハナシ、

要は確率論の問題。原発事故に見られた、臨界突破の問題。システムが臨界突破して、相転移現象を起こすときのはなし。例外現象だから、発生したら、収束まで、終わらない。システムのハナシ。確率論と、非線形科学における、カオス的現象。原発が安心安全と…

『太陽と地球のふしぎな関係』上出洋介

太陽と地球のふしぎな関係―絶対君主と無力なしもべ (ブルーバックス)作者: 上出洋介出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/08/19メディア: 新書購入: 2人 クリック: 16回この商品を含むブログ (3件) を見る自分の関心である、地球上のロジックシステムの失調…

言語に自分を合わせることはない、

引き剥がしたという意味だ。言語から自分を引き剥がしうる、ことを経験したら、NO RETURNだろう。

言語的な伝送のシェイプから、もう自分を引き剥がした、

No RETURNだな。言語の性質や位置づけを考えつつも、非言語的な情報を多種多様に扱う。言語と非言語的な伝送を扱う。

コトバに翻訳されない情報を用いてもいい、

コトバに翻訳されない情報は、芸術家が扱ってきた。でも今は、日常においても、使えるし、使っていいだろう。圧縮した情報が伝送できる基盤は、太陽の変容。ルネッサンス期も、同様の意味の変容があったのだろう。情報の伝送が圧倒的に、大容量になっている。

コトバによる解凍、線形的な展開を抜いて、圧縮した情報を、そのまま、

発する、放射してもよい。言語への解凍が、なされなくても、情報は感知される。正確な解釈はムリでも、情報はそのまま、打ち出される。

コトバによる説明をなしに、意志を強力に表現、表明することが、できる

意志の力、太陽神経叢のパワーは、言葉の情報ではなく、放射する、ある種、物質的な質感をもたらすかもしれない。

もし人に嫌われたら、ありがとう、と言おう、

『もし人に嫌われたら、ありがとう、と言おう、あなたを操作する必要がないことが、わかりました。どうもありがとう。』むずかしいひと

強力な意志の力は、攻めない、爆発的な守りを、放射する、

爆発的な守り、体の中心の太陽が爆発する、意志の風を爆発させる。

守ることと、意志の力はメイカクな、相関がある、

守ることは、意志の力を解放すること。守りの爆発。守る意志が、ハラから放射状に爆発する。太陽フレアのように。 守る意志が、体の中心から、太陽のような爆発を起こす。

守る事を、メイカクに表現すること、守る意思のパワーを、表明すること、

はできる。守ること。自分は守りのチカラの中に、います。と宣言すること。

悪い人のこと調べるお仕事は、

『悪い人のこと調べるお仕事は、検察さんのお仕事といっしょだね。ボクは悪い人のこと調べてる人の、本は読まなくなるのかなぁ。』こどものひと

ボク寂しかったけど、寂しい胸のうごきを、ユックリなでてたら、

『ボク寂しかったけど、寂しい胸のうごきを、ユックリなでてたら、嬉しくって、涙がでたよ。』こどものひと

寂しいのは、イケナイコトかと、思ってたけど、

『寂しいのは、イケナイコトかと、思ってたけど、ゆっくりすれば、いんだね?』『そうだよ。』みつを

寂しくて、いいのか?、

『寂しくて、いいのか?気づかなかったよ。』こどものひと

寂しい自分の胸の働きを、

ありがたいなー、ゆっくりね、ってやさしく掌でさする。

寂しくても、

『寂しくたって、いいんだよ。胸の動きをやさしく掌で受け止めてごらん。』みつを

だれもが心臓外科医になるわけじゃない、呼ばれた人だけ、

憧れるものでも、目標でも、気負うものでもない。そこをメイカクに観る。

他人の寂しさには触れないこと、触れたらタイヘン、繋がりができる、

選択と決断の意識を明確化。まずは自分の寂しさを味わって、仲良くしていく。小学校1年生のキモチで。人の寂しさを扱うには、心臓外科医に、なるだけの、責任感と覚悟がいる。胸を開けるのは、相当のこと。

みんな寂しいんだろうけど、他人の胸をやたらさわったら遺憾ね、w

けっこうタイヘン。胸を触るのは、セクシャル?だし、オトコにしたらすっごく、ヘン?だから寂しさは深く封印されているんだ。 寂しさの自覚と開放は、すっごくタイヘン。ものすごい手術といっしょで、すっごく熟練のプロしかできない。

寂しさを受け入れるということは、胸の働きを、受け入れたということだ、

寂しさを受け止める。胸のうずきや痛みを、やさしく掌で包み込む。受け入れる。 『寂しくっても、だいじょうぶ。寂しいのは掌で包み込めばいいんだ。』おれ

わかるかわからないかは、知的な作用ではない、分別は胸で行うみたい?、

胸の感覚がわかる、わからないを決める。胸の寂しさの感覚、信号は大事だ。

魂は寂しい、身体意識は寂しくない、

魂は何回も、いろんな場所にいるから、寂しくない?『寂しさという、胸の感覚は、大事な感覚だ。掌で包み込む。』おれ

寂しいフィーリングと闘わない、受け入れる、寂しいと同時に寂しくない、

身体意識は寂しくない次元。寂しくない次元を大切にする。身体という大本、太陽、ひのもとを大切に。そこは寂しくない場所。 しかし同時に集合意識から、独立した独立意識は、寂しさが必須。独立意識と寂しさはセットでしか、売ってない。バラ売りできない。…

根底の寂しさのフィーリングを受け入れる、諦める、悟る、抵抗しない、

寂しいのを否定しない。寂しいのに抵抗しない。同行二人はあるだろう。しかし寂しさはなくならない。また別のハナシだ。

悟り、自己覚醒、自己覚知はいいことはないではないか?、寂しいだけでは、

ないか、というのは本当だ。だから目指すとか、頑張るとは違う。目標になるものではない。前向きに目指すものでも、勝ち取るものでもない。根底には、寂しい、悲しいというフィーリングが横たわる。菩薩行は、寂しさのフィーリングがあるのではないか?

悲しみはデフォルト、意識の構造では、

集合意識と独立意識の関係性は、悲しみを伴う。しかし悲しみばかりではない。身体意識の世界では、喜びも十分に受け取れる。しかし悲しみを受け取ることは、どうしても必須だ。悲しみから逃れることはできない。受け入れることだ。