【非論理哲学論考】お金について

4:42 PM 11月1日
カネというエネルギーを観想する。微細に見ていく、周波数帯を確認していく、といった作業が、今後の課題か?すべてはエネルギー論、循環論、エネルギーの実態を観る。

4:40 PM
カネというエネルギーの可視領域、可視光線の波長域とどうようのものが想定される。恐れの色。感情と色調の変換学。エネルギーの周波数の問題だ。それを変換する、それだけだ。カネを畏れないとはカネを、エネルギーを観想する。エネ>ルギーの周波数を微細に見ていく、観るという行為でベールがはげる。
4:36 PM
カネを畏れるとは、人間の欲望を畏れる。ということだ。それだけ欲望の恐ろしさ、破壊力を知っているから畏れる。エネルギーに色はあるのか?ないといおうとしたが、あるのかも知れない。色とは波長だ、振動数だ。エネルギー色調の分離はあるだろう。恐れの色調、周波数帯も、もちろんあるに違いない。
4:32 PM
さて金(カネ)である。カネとはエネルギーを運ぶパケットのことだな。カネは呪術があり、恐れを内包するが、パケットを恐れるヒトはいない。カネという事物(紙幣、貨幣)ではなく、そこに内包されたエネルギー、欲望を恐れる。欲望を封じ込めた物財、エネルギーパケットがカネだ。さて、カネを観想。