感動、合一化
ニセの感動はない。
ニセの合一化、真の合一化、とう問題はない。
『ニセの合一化を退け、真の合一化を目指す。』という問題はない。
同一化、合一化を感じたもの、は、同一化、合一化している。
外から、その同一体、合一体を眺めた時、『シンスケの感動共同体』を眺めた時、違和感を感じるとは言いうる。同一体の境界外からの発言だからだ。
しかし、境界内にいて、感動したら、そういうことだ。
感覚が頼りだ。そして、その感覚を大切にするか、どうか?
感動することが、合理的である、経済的(お金儲けを促進する)である、という判断に基づいて、感動へのキーを開けて、感動して(してしまう?)、ということはありうる。