『バシャールと人間の、コミュニケーションギャップ』
バシャールと人間を繋ぐ、中間存在がいない。うまく翻訳する。
翻訳がこなれてない。直訳。
人間的なニュアンスに直すと、タブン、すっごく、『聞いてないよぉー!』になる気が。
バシャールは、それは人間の問題であって関係ない、と言いそう。
人間が正確に聞き取れてない、正確に情報を復元していないからだ、それは私たちの問題ではない、と言いそう。
『バシャールの言語の直訳』と『バシャールの言語の人間的にこなれた訳』では、意味が180度違うなんてことも、ありそう。
そういう部分は、確実にありそう。
『私たちの問題ではない。』、まあ、確かにそうなのよ。でも、キビシイよなぁ。
誤訳問題、誤訳がはびこってる問題。通信のノイズ低減問題。復元性の問題。
通信の、ネットワークの学が援用できるだろう。
『アセンションして、幸福になろう!』は、『トリスを飲んで、ハワイに行こう!』と同じくらい安易な発想。
アセンション系は、最初、ものすごい悲しみや困難をくぐって、その後に幸福感とかが、バランスしてくる程度で、『幸福を求める』方法としては、優れていない。
確かに幸福感もバランスとして、補正的にでてくるケースもあるだろうが、基本、悲しみ、困難系のMですよ。
キリストも仏陀も、基本Mですね。
神様が救うってのは、神様のお客になる=信者になる、ことだろうけど。
セミナーとワークに来る人はお客さん。セミナーはやり方は、方法論はいっしょ。休憩時間のとり方とか、企業研修といっしょ。
武術家のセミナー、ワークもいっしょ、ダンサーのセミナー、ワークも。
お客さんは、お客さん。武術の達人には、ならない。
合気道は確かに、ごく少数の10人に満たないような、達人を生み出し、道場に通う、『お客さん』はヨワヨワだと。伝達システムが機能してないと。
確かに、道場主は強い、すごいのだろう。しかし伝達できないし、お客さんばかりと。
だからアセンドしても、伝達できないマスターが多い。
アセンデッドマスターが伝達がうまいか下手かは、武術家が、いい弟子を育てられたかと同じ。
塩田剛三は確かに、達人だろう。しかし弟子は・・・
大山倍達は達人であり、かつ弟子を育てるシステムも作ったと。
達人度では塩田>大山かも。しかし弟子育成では大山>>>>>>>塩田だろう。
『独りよがりと社会性の欠如』の問題は、武術家とアセンデッド・マスターも同じ。
コミュニケーションギャップとは、教えるのが下手、自分はすごくても、いうこと。
達人に習ったから、弟子も強くなるとは限らない。
達人ではない先生が、強い弟子をガンガン育てることもありうる。