『書評(ポエジカルバージョン) 小沢革命政権で日本を救え 副島隆彦×佐藤優』

小沢革命政権で日本を救え

小沢革命政権で日本を救え

幻視者の拠り所

副島隆彦先生も佐藤優先生(以下敬称略)も幻視者である。見えないものを見る。見えるのだが、見えない。マスゴミという情報マトリックスの内部にいたら。副島氏は一貫して在野の人だ。学生運動、塾講師、大学教授、著述家。佐藤氏は鈴木宗男事件の梯子にされてから外へ出た。情報マトリックスの外へ。外にいる人、しかし彼らは外国人ではない。我々(あえて我々といってみる)と同胞である。しかし我々は孤立する強さがないと、マトリックスの外では生きることができない。孤独に耐える強さがいる。佐藤さんは500日以上の拘置でその力は実証済みだw。孤立しつつも我々は連帯(あえて)している、同じ志を持つものの匂いにおいて見分け(聴分け、聴香)られている。
 本書161ページで佐藤氏は村上春樹1Q84をひいて「同じ世界がある人にはこう見えて、別の人にはこう見える、と」と2009年12月の宮内庁 羽毛田長官発言の意味(羽毛田発言がまっとうか、小沢発言がまっとうか)ついて述べている。情報マトリックスの内部にいる人間には見えない。複数の視座がありえること自体が見えない。「月が二つ見える」人間はなにを拠り所に見るのか。大衆(マスコミに所属しマスコントロールしている記事メール伝送者含む)は自らの情報マトリックス(情報曼荼羅)を根拠とする。二つの月を見るものは?副島氏は船井幸雄氏との対論で陰陽師宣言をしている。幻視者宣言だ。佐藤氏はチェコ神学を学び、日常人とは違う視覚を獲得し(生得し?)、現在では後醍醐天皇、母方の沖縄ユタ?の情報マトリックスに拠点を持っている。同じく幻視している。我々もまた観るだろう、それぞれがそれぞれの情報マトリックスから。周りの人間のマスコミ情報マトリックスに情報支配をされているさまを見ると、不安に思うこともあるだろう。そのときは自分の井戸を掘ることだ。村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に「井戸を掘る」ことの暗喩がある。自らの井戸を掘り起こし、鉱脈、温泉水の湧出を待つことだ。温泉がでれば、不安になることもない。湧出量が豊富なら分け与えればいい。自らを覆い包むものの不快な粘膜に、恐れ、不安を感じたら、下へ、地下へ掘り進むこと。さすれば泉湧くというものだ。これは自戒であるが・・・。マスコミ情報マトリックスを鳥瞰するには、副島氏の方法ではワールド・ヴァリューズ情報にアクセスすればいい。自らをロスチャイルド、ロックフェラーの情報に仮想的にアクセスしていけばいい。そうすれば、ははーこういう風に奴らには世界が見えていて、こうするつもりなのか、と分かってくる。佐藤氏の方法論は、鳩山評価における時間軸の問題、変微分の多用ではなく、歴史的累積物、積分的思考か?キリストは歴史的堆積物から掘り起こさないと、自分が満足するキリストは観えない。それが知りたくて佐藤氏はわざわざチェコまで飛んだのであろう。
 二つの月を見る人々よ。恐れず、行こう、行けば分かるさ、だな。