書評 「幻想を超えて」 アルボムッレ・スマナサーラ 夢枕獏

幻想を超えて

幻想を超えて

仏陀について。
解脱を説いたわけで、最初からアセンション入門を説いておったわけで。だからこの世で何かを獲得しましょうとか、何かを達成しましょうという話ではない。この世の内部で、いい世界を作りましょうではない。
 この世から出る仕組みについて開示しときましょう。気づいた人は解脱のプログラムは開示しておきますので、自由にお使いください。みたいなフリーソフトウェアをダウンロード可能にしたんじゃないかな?

仕様について
プログラムを動かすためには、修行という言語プラス身体で走らせる必要がある。そのやり方詳しいサブプログラムは僧侶、寺院が配布しておりますと。僧侶がプラクティショナーですよと。しかし解脱できるかどうかは保障の限りではありませんと。僧侶自身は解脱者じゃないですと。単なるプラクティショナーですと。解脱者とかいいだすと、おうむさんになっちゃいますよと。新興宗教は違いますと。解脱プラクティスのプログラムのディストリビューターが僧侶、寺院ですよと。

解脱について
解脱しちゃったら、もうこの世の言語で記述する、記述される必要がない。関係ないってことになる。解脱者がプラクティショナーになることはあるのかと。菩薩ですかと?うーん。人間が菩薩を名乗ったらあやしいのかのー。

宗教について
この世の範囲で、仏陀のプログラムを使ったら宗教ですよと。しかし解脱とかのはなしになると、もうでちゃってるから宗教は関係ない、つうか人間も関係ない。記述不能と。記述可能な菩薩は多分、違うでしょうと。偽じゃないのと。

まとめ
仏陀プログラム使って、この世の外へでちゃったら、解脱したら、いっちゃったなー。記述不能。記述できるうちはこの世にいる。うーん。難しいのー。