『シリウスの都 飛鳥』 栗本慎一郎 著

シリウスの都 飛鳥―日本古代王権の経済人類学的研究

シリウスの都 飛鳥―日本古代王権の経済人類学的研究

久しぶりの書評である。それも栗先生の。あんま気合は入ってないが・・・。言い訳はこのくらいにして。

で 『シリウスの都 飛鳥』である。昔、買っていて、ちこっと読んでそのまんまになっとった。最近、古代史、古代日本史への関心がでてきての再読である。

まず古代史についての経済人類学(ポランニー派)の立場が述べられる。古代史研究がポランニー派経済人類学にとって重要な要素であることが

この本は、京都造形芸術大学教授である渡辺豊和さんの説を中核に、経済人類学的な意味づけ、位置づけを行っていくといったスタイルか?いわゆる発見とは渡辺豊和さんのものである。


栗本先生の、日本の古代史の大きな区分
�縄文中期 北日本太陽ネットワーク期
�縄文後期 三輪山ネットワーク期
�弥生期
�紀元後 三世紀〜四世紀 北日本扶桑国 九州倭国 中央ヤマト その他 並立期
�五世紀前半 第一期 応神朝(北日本進入)
�六世紀   第二期 蘇我氏北日本進入)
大化の改新 以降 蘇我氏排除 藤原氏権勢


�、�は渡辺氏の業績の紹介に留まるようだ。巨石や神社の大本のネットワーク(縄文ピラミッドのようなもの)という視点は、面白くとも、その時代の文字記録がない以上、そのネットワークで行われた儀式等はイマジネーションでしか描画できないし、栗本先生自体が、豊かなイマジネーションで描画しているとはいいがたい。また私も、その聖方位等の証明、検討の過程に興味がそそられない。

�は、日本の成立が大化の改新以降であり、その前は、いろんな王朝が並立、交代してきたとする説である。私の最近の関心が、古田武彦氏の周辺の九州王朝であったり、物部氏、縄文の残滓、後継者達であることから、いわゆる日本としての統一国家形成は、大化の改新以降であるという説は馴染みのあるところだ。しかし栗本先生の、中国名 扶桑国 和名 越の国の重視(縄文期においても北部日本の重視)は馴染みがなく、私が九州在住であり、私的な関心、感覚がそそられないところだ。

�、�は江上波夫氏の騎馬民族征服説を修正したという位置づけになるのか、北部日本が、匈奴などの北方騎馬民族に開かれており、往来が盛んで、蘇我氏は、その末裔、遡るとイラン高原東北部サカスタン平原から、やって来たという。その精神的な支柱、価値観がミトラ信仰、天狼星、シリウスへの信仰であるという。ゾロアスターへ繋がっていく、二元論、善悪二元論の強力な哲学を持つ集団であったという主張である。

その他、蘇我氏が古代匈奴等の遊牧民族に共通の双分制(精神の王、地上の王の分権)のバランスを崩し(崇峻天皇の謀殺)やりすぎたため、中臣鎌足藤原鎌足 同じく扶桑国の出自 鹿島神社宮司の家系)から封じられ、ヤマトという地に、日本という国家、行き過ぎを廃し、妥協し、和を掲げる国がなったとなる。(ちょい超訳

その他、蘇我氏の怨霊封じが出雲大社であり出雲は場所を借りただけ、出雲族は軽視。鹿島神社が北部日本の拠点であり、それに対し香取神社が配置された。関東武士団と北部日本の継続性などが述べられる。

また世界史的意味合いでは、文明の起源をシュメール文明以前の、ジロフト文明、紀元前5千〜3千年とし、人類のルーシー起源説と同型の文明起源説、伝播の起源として、イラン東北部サカスタンを重視する。サカスタン文明発祥説により、日ユ同祖論が相対化され、カザール帝国(スラファディユダヤ、元ユダヤ人の国)も、サカスタンの末裔であることが示唆される。すると、ユダヤから日本へではなく、ユダヤと日本はサカスタン平原から出でた兄弟といった位置づけか?

縷々、要約してきたが、私は『意味と生命』を高校の時の聖典とし、栗本先生の全盛期には、単なるファンであったが、現在においては、少し距離を置いて見れるようにはなっている。
あまりフェアな物言いではないが、80年代は大学教授(明治大学法学部教授というちゃんとした?教授)が、トンデモ的な現象に理解を示すことに、大きな価値があった時代だ。大学教授の地位が高かったし、権威が崩れていなかった。栗本先生も久慈力氏、渡辺豊和氏との学説的連携と親近感を明示しており、自分だけの説という書き方を、ぜんぜんしてないのだが、昔であればちゃんとした大学教授が理解を示すのがすごかったのだ。勝手にファンの方で、栗本先生が偉大なるオリジネーターであると勝手に、修飾して理解していた。(いわゆる陰謀論も、栗本先生は影響、参照した研究などは明示しているが、栗本先生がオリジネーターであると、勝手に、修飾して、理解したものだった。)

経済人類学的な古代王権論は、理解のツールとして有効な道具立ての一つであろう。しかし栗本先生の思い入れが強いであろう、蘇我氏のミトラ信仰の後継(はるばるイラン高原から、日本列島へ)という主題には、そんなにトキメかなかった。強力な二元論哲学、二元論宗教という主題自体に、興味が持てない。(その打倒が、隠れ主題なのだろうが。)

現在では、シュメール文明どころか、シッチン的トンデモまで、ウィングを広げてしまってる私では、驚きがない。知が権威であり、打倒すべき?、とにかく揺るぎがないとされた時代の、アイドルではあったが、現在では、諸理論家の一人と考えてしまうが、フェアでないとは思いながらも書いてしまった。